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見沼からさいたま新都心を望む。
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小川沿いの道をずーっと辿っていきます。
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住宅地のただ中にポツンと鳥居が…
当社から北西約四百メートルの住宅地の中には石造りの鳥居がありますが、
これは安政二年(一八五五)に、馬場方面から参詣する人たちの便を考えて、
大門宿の石工に作らせ、氏子たちが奉納したものです。
と、神社境内にある立札に書かれておりました。
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近づいてみた。
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氷川女體神社に到着。以下チラリと見える看板の内容。
浦和市指定天然記念物 氷川女体神社社叢 昭和四十年七月一日指定
氷川女体神社は武蔵国有数の古社で、大宮氷川神社とともに武蔵国一宮を称していました。
かつての見沼に突き出た小舌状台地に位置しており、見沼とは非常に関係の深い神社でした。
社叢は、クスノキ、タブノキ、シラカシ、モチノキ、サカキ、ヒサカキ、ネズミモチ、シロダモ、
チョウジカズラ、ビナンカズラなどの自然林の常緑広葉樹を中心に構成されています。
下草にもキチジョウソウなどの暖地性のものが見られ、境内は暖地性植物の群生地といえます。
また、スギも樹齢三百年を越える大木が見られます。
なお、この社叢は、県の「ふるさとの森」にも指定されています。
平成四年三月 浦和市教育委員会 氷川女体神社
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台石・藁座のある明神鳥居。
鳥居越しに、静かな境内を撮影。人が少ないです。
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手水。岩をくり抜いたような感じ。
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手水舎の屋根。クモの巣が…
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三室 氷川女體神社 さいたま市緑区宮本鎮座
当社は崇神天皇の御代に、出雲杵築の大社を勧請した古社で、
武蔵国一宮として見沼のほとりに鎮座している。
主祭神は奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)で、大己貴命(おおなむちのみこと)と
三穂津姫命(みほつひめのみこと)を配祀している。
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当社の御手洗瀬である見沼を囲み、大宮氷川神社(男体社)大宮中川の中山神社(簸王子神社)とともに、
三社深い関係にあり、「三室」を伝えてきた。
古代。女神を祀るところや、社殿が東方に向いているなど、その創立の古さと由緒を忍ばせている。
中世以来。武門の崇敬を集めており、これらにゆかりある宝物も多い。
徳川家康からは社領五十石を寄進され、また、徳川家綱によって現存する社殿も建てられた。
古来からの御船遊(みふねあそび))神事は、見沼干拓後、
磐船(いわふね)祭として行われ、その遺跡が現存している。
また、暖地性植物の繁茂する社叢(しゃそう)は天然記念物であり、ふるさとの森(にも指定されている。)
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現在の氷川女體神社社殿は、権現造りで現存する棟札には「武蔵国一宮簸河(ひかわ)女躰大明神社、
征夷大将軍源朝臣家綱公御再興 阿部朝臣忠秋 奉 寛文七丁未六月十二日御遷座(一六六七年)とあり、
その後徳川吉宗公の代にあの有名な大岡越前守忠相が町奉行から寺社奉行に昇格すると、
ただちに当社社殿を修復した」と歴史的事実を残しております。
阿部朝臣忠明は忍(おし)城主。
向拝の軒唐破風が特徴です。
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武蔵国一宮 氷川女體神社の道標(みちしるべ)
もともと、赤山街道沿いの大間木水深(みずぶか)(浦和)の地にあった、
この石碑には、「武蔵国一宮」「女體宮道」とあって、幕末の弘化二年(一八四五)に
当社への道しるべとして赤山街道に面して建立されたものです。
この後に、先ほどの鳥居の文章が続き、その後に
幕末の頃に相次いで建てられたこの石碑や鳥居は、建立する必要に迫られるほど、
当社への参詣客は非常に多く、篤い信仰を得ていたことを物語る貴重な資料となっています。
と書かれています。
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社務所。緑豊かな境内です。
個人的に「となりのトトロ」を思い起こす1枚。
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巫女人形。
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石碑と竜神社。
この竜神社には、さいたま市の竜伝説に因んだ竜神様が御座します。
かつて広大な沼であった見沼の辺のここ武蔵一宮氷川女體神社には、長年に亘り、
神輿を乗せた船を沼の最も深い所に繰り出し、沼の主である竜神様を祭る祭祠「御船祭」を
執り行ってまいりました。享保十二年(一七二七)八代将軍吉宗公の政策で見沼は干拓され、
「見沼田んぼ」となってからこのお祭りは「磐船祭」として今尚続けられております。
遺跡によれば御船祭は十四世紀から行われていたとも推定されます。
世界最古の閘門式運河ともいわれる見沼通船掘など、
見沼には数々の歴史財産が秘められております。
見沼を中心としてさいたま市内に点在する数多くの竜神伝説もその一つと言えます。
見沼代用水と見沼代用水から西へと引いた高沼用水、その二つの灌漑用水で
田畑を耕す地域と見沼に関わる地域はほぼさいたま市全域に及んでいます。
さいたま竜神まつり会は「文化と歴史を活かした誇りのもてるまちづくり」を目的として
平成十三年(二〇〇一)五月に約五十mの巨大な昇天竜を製作し「竜神まつり」を開催致しました。
さいたま竜神まつり会
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境内から出た正面、橋を渡ると「磐船祭」祭祀遺跡があります。
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浦和市指定史跡 氷川女体神社磐船祭祭祀遺跡
指定年月日 昭和五十四年三月二十八日
氷川女体神社のかつての最も重要な祭祀は御船祭でした。
しかし、享保十二年(一七二七)の見沼干拓によりそれが不可能となり、
代わりに社頭の旧見沼内に柄鏡形の土壇場を設け、周囲に池をめぐらし、
ここにその祭祀を移して行うことになりました。それが磐船祭です。
実際にここで祭祀が行われたのは江戸時代中期から幕末ないしは明治時代初期までの
短い期間ですが、その祭祀は見沼とは切り離せない古来からのきわめて重要なものです。
この遺跡は保存状況も良く、また、これを証すべき文章や記録も残されており、
史跡としての価値が高いといえます。
面積 三九七一平方メートル
祭場(四本竹跡) 径三〇メートル
御幸道 長さ六五メートル
なお、昭和五十七年度に、復原整備事業を実施しました。
昭和五十九年十月
氷川女体神社 浦和市教育委員会
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近くの公園にて。
「唱歌『案山子』発祥の地」の像と碑がありました。