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都会の巨木。
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巨木に至る小路。
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城山ヒルズ・階段。
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都会の喧騒とは無縁。
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テレビ東京。
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白が眩しい。
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もうひとつの階段。
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STARBUCKS
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気の向くままに細い道へ。
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共存
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次なる目的地を発見。
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愛宕神社参道(看板にはそうあった)。登り切る頃には息が切れた。
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道を舐める猫。
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NHK放送博物館と愛宕のタワー群。
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愛宕神社 慶長八年(一六〇三)九月二十四日建立
主祭神 火産霊命-ほむすびのみこと(火の神)
罔象女命-みずはのめのみこと(水の神)
大山祇命-おおやまづみのみこと(山の神)
日本武尊-やまとたけるのみこと(武徳の神)
勝軍地蔵菩薩(勝運・出世) 普賢大菩薩(辰・巳年の守り本尊) 天神社(学業)
境内末社 太郎坊社(猿田彦神) 福寿稲荷神社(宇迦御魂神)
弁財天社(市杵島姫命) 大黒天神祠(大國主命) 恵比寿神祠(事代主命)
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当社は徳川家康公が江戸に幕府を開くにあたり江戸の防火・防災の守り神として
将軍の命を受け創建されました。
幕府の尊崇篤くご社殿を始め仁王門、坂下総門等を寄進され、
祭礼等でもその都度下附金の拝領を得ておりました。
また、徳川家康公のご持仏「勝軍地蔵菩薩」(行基作)も特別に祀られております。(非公開)
江戸大火災、関東大震災、東京大空襲の度に焼失しましたが現存の社殿は昭和三十三年再建されました。
寛永十一年三代将軍家光公の御前にて、四国丸亀藩の曲垣平九郎盛澄が騎馬にて
正面男坂(八十六段)を駈け上り、お社に国家安寧の祈願をし、その後境内に咲き誇る源平の梅を手折り
将軍に献上した事から日本一の馬術の名人として名を馳せ「出世の石段」の名も全国に広まりました。
万延元年には水戸の浪士が御神前にて祈念ののち、桜田門へ出向き
大老井伊直弼を討ちその目的を果たした世に言う「桜田門外の変」の集合場所でもありました。
海抜二十六メートルは都内随一の高さを誇り、桜と見晴らしの名所として江戸庶民に愛され
数多くの浮世絵にもその姿を残しています。
明治元年には勝海舟が西郷隆盛を誘い山上で江戸市中を見回しながら会談し、
江戸城無血開城へと導きました。鉄道唱歌にもその名が残り春は桜、夏は蝉しぐれ、秋の紅葉、
そして冬景色と四季折々の顔を持つ風光明媚な愛宕山として大変貴重な存在となっております。
ほおづき市、羽子板市は浅草の市の先駆け、発祥の地として江戸時代の書「東都歳時記」にも
その賑わいは記され現在は六月の千日詣り、羽子板絵馬にその名残をとどめています。
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昭和二十年、尊攘義軍十烈士が敗戦の国を憂い山上にて自刃・玉砕、
並びに二夫人がその後を追われました。
現在も慰霊碑の前で御遺族、有志の人達の手により慰霊祭が行われています。
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何かの碑。
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児盤水-こばんすい(小判水)の滝
昔この愛宕の地に児盤水(又は小判水)と云う靈験あらたかな名水が湧き出ていました。
承平三年平将門の乱の時、源経基と云う人がこの児盤水で
水垢離をとり愛宕様に祈誓をこめ神の加護により乱を鎮めたと云うことが旧記にのつています。
然し現在では昔を偲ぶものとてありません。
幸い都心に聳え立つ緑の名跡愛宕山にゆかりも深い児盤水の名をとどめ昔を偲び
東京の新名所として御参詣の皆様に神のお恵みと心の安らぎを得ていただければ幸いと存じます。
昭和五十一年如月 宮司 (個人名は省略させて頂きました)
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弁財天社 祭神 市杵島姫命
慶長十五年安芸の厳島より勧請され音楽財宝、弁財の守護神です。
社殿両壁には篤志家自筆奉納の昇竜降竜があります。
で、両壁は見ないで帰ってきました…
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ここを馬で駆け上がったんだねぇ。
降りるだけでも結構怖い。
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どの階段を使っても、急さは変わらない。
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総本山智積院別院 摩尼珠山(まにしゅざん)真福寺
略縁起
真福寺は京都市東山七条にある真言宗智山派総本山智積院の別院で、
真言宗智山派の宗務出張所が置かれているお寺です。
天正19年(1591年)中興照海上人が徳川家康公を慕って江戸へ出て、鉄砲洲に庵を構えたのが始まりで、
慶長10年(1605年)家康公より愛宕下に1360坪の土地を賜り、開創されました。
元禄年間になると弘法大師四国八十八箇所札所詣りの信仰が盛んになり、
宝暦年間には御府内八十八箇所が定められ、真福寺も第六十七番札所として名を連ねています。
このお寺の御本尊様は「薬師如来」、正しくは「薬師瑠璃光如来」といい、そのお姿は、
右手で人々に安らぎと勇気を、左手に持つ薬壺(やっこ)で、病気の苦しみを除く請願を示し、
「愛宕下のお薬師さん」と通称され、ご縁日には門前市を成す賑わいで、広く庶民の信仰を集めてきました。
長い歴史の中で度重なる火災や震災などにより堂宇も焼失しましたが、
大正から昭和にかけて再建された本堂や庫裡も老朽化が進み、
平成7年4月に近代的な「真福寺・愛宕東洋ビル」として再生され、
宗団の東日本における拠点として活動しております。
総本山智積院別院 真福寺
オランダなど使節宿館跡
幕府は、安政5年(1858)、アメリカを初め、オランダ、ロシア、イギリス、フランスの五カ国と通商条約を結び、
江戸の地には、外国の使節の往来が激しくなった。この間、江戸における使節団の宿舎として、
攘夷派浪士への対策、多人数が収容できるなどの理由から寺院が選ばれている。
ことに港区内の寺院は、開港場と江戸を結ぶという地理的条件から宿舎に指定されるものが多かった。
真福寺(真言宗智山派の東京別院)は、安政5年3月から約半年間、オランダ使節の宿舎となり、
以後、当寺は、短期間であったが、ロシアやフランスの宿舎にもなった。
なお、当時の建物は関東大震災で焼失した。
昭和50年1月 東京都港区教育委員会
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新橋赤レンガ通り。
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塩釜公園の沿革
江戸時代、この公園の場所は、仙台藩主伊達家の中屋敷内にあり、
鹽竈(しおがま)神社の境内になっていました。
この神社は、はじめ元禄八年(一六九五年)に今の東新橋にあった伊達家神屋敷内に、
領地の鹽竈神社本社から分霊を迎えて祀られていたものが、
安政三年(一八五六年)に移転され、邸内社として私に祀っていました。
その後一般の人々にも参拝を許し、本社に同じく安産の神様として信仰を受けました。
明治になり、大名屋敷がなくなってからも神社は存続しましたが、大正一二年の関東大震災の後、
災害時の避難場所の確保と町民の安息や子供の遊び場もかねて、
昭和五年に東京で唯一の町立鹽竈公園として開園しました。
その後昭和四六年、港区が区立塩釜こうえんとして整備しましたが、敷地拡張に伴い、
この度、全面改造を行いました。
昭和五九年十二月 東京都港区
公園の向こうに見えるのが塩竈神社。
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これも鳥居…でしょうか。
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本殿に向かって左側にも鳥居が。
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公園のある区画の一角にも神社の遺構?
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環状二号線の建設に伴い、より線路に近い位置へ移転予定の日比谷神社。
日比谷神社遷宮御造営趣意書(より抜粋)
当日比谷神社は、旧麹町日比谷公園大塚山と謂う所に鎮座し日比谷稲荷明神旅泊稲荷明神と称し奉り
江戸城築城と共に日比谷御門造営に付き氏子と共に芝口に換地となり、
町名と共に日比谷と称し寛永七年芝口御門造営と共に芝口町と変更になりました。
芝口に御鎮座して六百三十有余年となる古社であります。
大正十二年関東大震災に依り昭和三年に都市計画区割整理となり愛宕下町二丁目に換地となり
現在の新橋四丁目の日比谷神社の御社殿が造営されました。
以降、新橋の鎮守様として広く崇敬を集め幾多の災厄に遭うも、
その都度氏子崇敬者の方々の御厚意をもって再建して参りました。
現在では新橋四丁目町会・新橋五丁目町会・汐留町会・新橋二丁目町会・新橋駅前ビル自治会・
東新橋一丁目町会及び汐留シオサイト地区の氏神様として崇敬を集めております。
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日比谷神社参道。
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日比谷神社縁起
別名 鯖稲荷
御祭神 豊受大神(とようけのおおかみ)
祓戸四柱大神(はらいどのよつばしらのおおかみ)
・瀬織津比賣大神(せおりつひめのおおかみ)
・速開都比賣大神(はやあきつひめのおおかみ)
・気吹戸主大神(いぶきどぬしのおおかみ)
・速佐須良比賣大神(はやさすらひめのおおかみ)
天津神・國津神
当社ノ御祭神祓戸ノ大神様ハ人ヤ家ノ不浄・罪・穢ヲ祓ヒ清メテ下サル修祓(オハライ)ノ神様ニシテ、
神社ガ数多ク有レドモ主祭神トシテ奉斎スルノハ当社一社ノミデアリマス
由緒
コノ御社ハ往古ヨリ今ノ千代田区日比谷公園ノ辺ニテ大塚山ト云フ所ニ御鎮坐シ
日比谷稲荷明神・旅泊(サバ)稲荷明神ト称シ奉リソノ御創建ノ年歴ハ不詳ナルモ
慶長年間(今ヨリ四百年前)江戸城日比谷御門御造営ニ付キ神社並ニ氏子共ニ
芝口(現新橋)ニ換地セラレ御社號ノミ今ニ日比谷神社ト称シ奉ル
御神徳
往古当社日比谷ニ在リシ頃全国ノ難苦セル旅人等ニ神社社務所ヲ解放シ無病息災ノ御祈願ヲ受ケ
靈験特ニ著シキヲ以テ旅人・里人等ハ旅泊(サバ)稲荷ト唄ヘ奉ルナリ
新橋ニ移リテ以来魚ノ鯖ニ変リ鯖稲荷ト称シ来タレリ
特ニ虫歯ニ苦シム人等御祈祷ニ依リ霊験特ニ有リシト鯖ヲ断チ祈誓ヲ掛ケ立願成就治癒ノ後ニ
報謝ノ為鯖ヲ奉納スルニ因レリ
虫歯虫封ジノ御祈願スルハ日比谷神社ノミナリ
祓戸四柱ノ大神ノ御神徳ニ依リ土地・家祓ヒ自動車祓ヒ・ソノ他ニ霊験著シキヲ以テ全国ニ聞コエルモノナリ
日比谷神社 第二十二代宮司三宅武雄
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新橋駅近く、ビルやお店が立ち並ぶ中に佇む烏森神社。
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烏森神社縁起
御祭神 倉稲魂命 天鈿女命 瓊々杵尊
平安時代天慶三年(約一千年前)に平将門が東國で叛乱を起こした時征討将軍藤原秀郷が
当社に戦勝を祈願したともこのとき勧請したとも伝えられている
室町時代の享徳四年(約五百年前)には室町幕府の関東管領で古河公方と云われた
足利成氏は当社に戦勝を祈願した
その祈願状は今日も当社に宝物として伝えられている
江戸時代は稲荷信仰により祭礼も二月初午の日に執行せられ
稲荷祭としてその賑わいは江戸で一二を争うものであった
明治以降は五月四五六日を祭日とし夏祭のはしりとしてその名をうたわれている
当社殿は伸びゆく新橋の地にふさわしい近代建築美の中に神社本来の伝統を加味し
昭和四十六年十二月氏子の熱意により竣工をみたものである
昭和四十六年十二月 宮司 山田將夫
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街頭インタビューでおなじみのSL広場。
C11型蒸気機関車が置かれていることから、こう呼ばれているらしい。
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そして新橋駅。